2024年予算案 税制の動向

A. はじめに

2024年2月17日、ローレンス・ウォン副首相兼財務大臣は、2024年シンガポール予算案を発表しました。ウォン副首相兼財務相は、昨年は国際環境の悪化と世界経済の低迷により、大きな課題を突きつけられた年であったと述べました。また、2024年については、慎重ながらも楽観的な見通しを示す一方で、大国が経済的相互依存よりも安全保障を優先する、より分断化された世界へと移行しており、地政学的リスクは依然として大きいと指摘しました。国際課税の分野では、多くの国々が税源浸食・利益移転(BEPS)2.0の枠組みを導入しており、これにより国際課税の状況は劇的に変化し、投資と資産運用のハブとしてのシンガポールにも影響が生じています。

本稿では、今年の予算案で導入された関連税制の改正とその影響についてご紹介します。

B. 企業および多国籍企業(MNEs)に関連する主な改正点

1. BEPS2.0のPiller 2(第2の柱)に基づく所得合算ルールと国内上乗せ(トップアップ)税の実施

OECDのBEPS2.0プロジェクトは、2つの柱で構成されています。

  1. 第1の柱は、多国籍企業(MNE)がその消費者の所在地で税金を納めるように、利益を再配分することを目的としています。
  2. 第2の柱は、グループ全体の年間売上高が7億5000万ユーロ以上の多国籍企業に対し、その所得がどこで得られているかにかかわらず、最低実効税率15%の課税を確保するものです。これは、2021年10月に導入された国際的な税源浸食防止(GloBE)モデル・ルール(「第2の柱ルール」といいます)により達成されるもので、所得合算ルール(Income Inclusion Rule: IIR)と軽課税支払ルール(Undertaxed Payment Rule: UTPR)という上乗せ(トップアップ)税制を適用し、多国籍企業がある国・地域で得た利益に対して課す税金の総額をミニマム税率(15%)まで引き上げるものです。第2の柱には、条約に基づくルールである租税条約の特典否認ルール(Subject to Tax Rule: STTR)も含まれます。これは、ある国・地域の企業から他の国・地域の関連企業に対して行う企業間支払について、その支払が受領国・地域で課税されないものとみなされる場合には、当該国・地域がその支払に対して最大9%の上乗せ税を課すことができるというものです。

昨年、シンガポールは、国際的な動向に合わせて2025年から第2の柱を導入する計画を発表しました。この実施時期は、EU、英国、オーストラリアなど一部の国からは若干遅れています。他方、アジアでは、IIRの導入を発表したほとんどの国が2025年から実施することとしており、これには香港、マレーシア、タイが含まれます。今年の予算案では、シンガポールが第2の柱に基づくIIRおよび国内トップアップ税(DTT)を予定通り実施することが確認され、これにより、対象となる多国籍企業の利益に対して、ミニマム実効税率15%の課税がなされることになります。IIRとDTTは、2025年1月1日から始まる会計年度より発効します。対象となる多国籍企業グループは、直前の4会計年度のうち少なくとも2会計年度におけるグループの年間売上高が7億5000万ユーロ以上の企業(対象多国籍企業グループ)です。また、大臣は、第2の柱のもう一つの構成要素であるUTPRについては、まだ実施しないことを確認しました。UTPRは、IIRの補完として機能する二次的な仕組みであり、シンガポールで事業を行う多国籍企業に対して、IIRの下では他国が徴収しないトップアップ税をシンガポールが徴収できるようにするものです。

IIRおよびDTTは、国内法によって実施されます。本日現在、パブリック・コメントのための法律案はいまだ公表されていません。IIRは、シンガポールに親会社がある対象多国籍企業グループに対し、シンガポール国外で事業を行うグループ内企業の利益について適用されます。また、DTTは、対象多国籍企業グループのうち、シンガポールで事業を行う企業の利益について適用されます。DTTの制度がなければ、このような多国籍企業グループは、シンガポールにおける利益について実効税率15%の税金を親会社の存する他の国・地域に支払わなければなりません。このように、DTTは、シンガポールが不必要に他の国・地域に税収を譲らなくてよいようにするための制度であり、その導入はなんら驚くべきことではありません。

2. 還付可能な投資税額控除制度の導入

今年の予算案において、還付可能な投資税額控除(RIC)制度が導入されました。この制度は、第2の柱ルールが定める適格還付型税額控除(QRTC)として扱われることを意図しており、外国投資を誘致するためのシンガポールの政策ツールキットを補強するとともに、ポストBEPSの世界におけるシンガポールの財政上の競争力を強化するものです。この改正は、多くの企業がシンガポールの既存の優遇措置の恩恵を受けられなくなる第2の柱ルール導入後の世界では、特に歓迎すべきことです。一般論として、第2の柱ルールの導入後、多くの国は、外国投資の誘致政策において、税ベースの優遇措置から現金ベースの補助金に重点を移すことが予想されます。そのような世界では、国の財政力の信頼性と予測可能性は、多国籍企業の行動を決定する重要な要素となるでしょう。

RIC制度の概要

RIC制度は、新規生産設備への投資、本社業務の拡大、商品取引、研究開発(R&D)、脱炭素化を目的としたプロジェクトなど、「高価値で実質的な経済活動」における適格な費用支出の最大50%を支援します。

RIC制度による税額控除は、納付すべき法人税と相殺され、未使用分の税額控除は、企業が税額控除を受ける資格を得た時点から4年以内に現金で企業に還付されます。RIC の各メリットの受給資格期間は最長 10 年間とされています。

RICの支援額は、資本支出、人件費、研修費、無形資産費など、対象となる支出カテゴリーに対する所定割合によって決まります。対象支出カテゴリーをみると、RIC制度は製造業のような資本集約型産業だけでなく、多額の無形資産コストを伴う高付加価値活動を行う分野にも拡大する可能性があることがうかがわれます。もっとも、RICの支援額は、企業の利益ではなく支出に基づいて算定されるため、利益率が高く資本支出が最小限の企業は、RIC制度の条件下では実質的なメリットをあまり享受できない可能性があります。

RIC制度については、資本手当や経費控除に関する既存のルールとどのような相互関係を有するかなど、いまだ明らかになっていない点があります。RICの支援が付与された場合に、資本手当や経費控除がどのように調整されるかについては、いまだ発表されていません。シンガポール経済開発庁および企業庁は、2024年第3四半期までにさらなる詳細を発表する予定です。

RIC制度と第2の柱ルールが定めるQRTCとの一貫性

RIC制度の主な利点は、第2の柱ルールの下で、非QRTCではなくQRTCとして扱われる点にあります。OECDの第2の柱ルールによれば、QRTCとは「還付可能な税額控除で、その控除を認める法域の法律のもとで税額控除を受ける条件を満たしたときから4年以内に、現金または現金同等物として還付されなければならないように設計されたもの」とされています。OECDの会計ルールでは、QRTCは、多国籍企業に課される実効税率(「GloBE ETR」といいます)の計算上、所得として扱われ、対象税額の減額にはなりません。これは、政府補助金の会計処理と同様です。

そのため、QRTCは、非適格税額控除と比較して、GloBE ETRの減少幅をより小さくします。QRTCは、第2の柱ルールの下で発生する上乗せ(トップアップ)税を最小限に抑えることができるため、多国籍企業にとって魅力的な制度となる可能性が高いといえます。

これまでのところ、他のいくつかの国・地域も、QRTCとして扱われるよう新たな税制優遇措置を導入したり、既存の優遇措置を改正したりしています。最近ではベルギーが、既存の研究開発費税額控除制度を、第2の柱ルールにおけるQRTCの定義に準拠させるため、未使用の研究開発費税額控除分の還付期間を5年から4年に短縮しました。ハンガリーも、2023年に、還付可能な研究開発費税額控除制度を新たに導入し、適格なプロジェクトで発生した研究開発費の10%分を税額控除として認め、未使用の税額控除分については4年後に現金還付を申請できるようにしました。一見したところ、シンガポールのRIC制度は、税額控除の対象を研究開発費に限定していないことから、ハンガリーやベルギーの制度よりも適用範囲が広いようです。

シンガポールは、第2の柱ルールが定めるQRTCと互換性のある還付型税額控除制度を、アジアで初めて導入する国となる見込みです。QRTCには多くの利点があることから、今後、QRTC制度に対応した税額控除制度を導入する国・地域が増えていくと予想されます。もっとも、QRTC制度は、企業が最初に税額控除を受ける資格を得たときから現金還付を受けるまで4年という長い期間がかかることから、QRTCインセンティブを提供する政府が、多額の現金支出を伴う還付を本当に実行できるかという懸念が生じえます。この点、シンガポールは、財政の評判がよく国庫も健全であることから、シンガポールのRIC制度は多国籍企業の信頼を得られるものと思われます。

歴史上、伝統的な税制優遇措置は、長年にわたって海外からの直接投資を誘致するためのシンガポールの財政戦略を構成してきました。しかしながら、第2の柱ルールに基づくグローバル・ミニマム税率の導入により、従来の税制優遇措置はあまり意味のあるものではなくなりました。なぜなら、それらの優遇措置は、GloBE ETRを下げ、結果的に多国籍企業がより高いトップアップ税を課されることとなってしまうためです。RIC制度は、多国籍企業が引き続き最も有利な税制上のメリットを得られるようにするため、投資促進ツールを刷新し、グローバルミニマム課税に関する第2の柱ルールの導入による悪影響がほとんどまたは一切生じないようにするという、シンガポールの決意を示すものです。同時に、シンガポールは、BEPS後の世界における財政上の地位を確保するため、税制以外の優遇措置も強化していかなければなりません。この点に関して大臣は、ポストBEPSの世界においてシンガポールの競争力を維持するため、第2の柱ルールの導入により得られる追加的な収入はすべて再投資にまわし、またシンガポールが新たな措置によって継続的に純収入を生み出すことは想定していないと述べました。

3. 新たな優遇税率の導入

以下の税制優遇措置について、追加的な優遇税率が発表されました。2024年2月17日より発効します。

優遇措置の名称
追加の優遇税率
開発・拡張インセンティブ(Development and Expansion Incentive) 15%
知的財産開発インセンティブ(Intellectual Property Development Incentive) 15%
グローバル・トレーダー・プログラム(Global Trader Programme) 15%
金融・財務センターインセンティブ(Finance and Treasury Centre Incentive) 10%
航空機リース制度(Aircraft Leasing Scheme) 10%


シンガポール経済開発庁および/または企業庁は、2024年第2四半期までに詳細を発表する予定です。

これらの追加的な優遇税率カテゴリーの導入により、シンガポール政府は、より柔軟に的を絞ったインセンティブを提供することが可能になり、それによって、第2の柱ルールの下でシンガポールの課税ベースを最大化し、かつ多国籍企業の負担を軽減させることができると考えられます。例えば、租税条約の特典否認ルール (STTR)のもとでは、グループ内の企業間における特定の所得(利子やロイヤルティ、グループ内サービスの支払など)の支払について、その支払先に適用される名目法人税率が9%以下の場合、当該支払先が属する国は最大9%まで課税を行うことができます。この点、シンガポールの多国籍企業は、関連するインセンティブに基づき10%の優遇税率を利用することにより、STTRの適用を受けずに済み、第2の柱ルールの下での負担を軽減することができます。

4. その他の税制改正

その他の注目すべき税制改正は、以下の通りです。

  • 海運業 – 海事セクターインセンティブ(Maritime Sector Incentive (MSI))の代替課税基準:現行の MSI 制度では、適格な海運会社の所得のうち適格性を有する部分が非課税となっています。2024年以降に導入される代替課税基準では、適格な海運会社の適格な所得に対して、その船舶の正味トン数を参照して課税されることが発表されました。2024 年第 3 四半期までに、シンガポール海事港湾庁が詳細を発表する予定です。
  • 住宅デベロッパー – 加算印紙税(ABSD)減免分のクローバック率の改定:現在、住宅用地を購入する住宅デベロッパーは、購入価格に対して 40%の加算印紙税( ABSD) を課されますが、うち 35%はあらかじめ減免可能であり、認可を受けた住宅デベロッパーが住宅用地の取得後 5 年以内にすべての住戸を販売できなかった場合に、未販売の戸数に関係なく、その減免分を利子付きで追納(クローバック)することになっています。今年の予算案では、5年の販売期間中に少なくとも90%の住戸が販売されたプロジェクトについては、ABSD減免分のクローバック率を引き下げることが発表されました。クローバック率は、当該プロジェクトにかかる工事の開始と終了に関する基準が満たされている場合に、5年経過時点の販売住戸の割合に応じて1%から10%の範囲で引き下げられます。この措置は、住宅用地が2018年7月6日以降に取得されたプロジェクトにのみ適用されます。
  • 法人税リベート:企業がコスト上昇に対処できるよう、2024会計年度には法人税の納税額に対し50%のリベート(上限40,000ドル)が付与されます。さらに、2023年に現地従業員を1名以上雇用した企業には、最低2,000ドルの現金給付が行われます。
  • 著作権(ロイヤリティ)収入に対する優遇措置の廃止:著作者、作曲家、振付家に対する著作権(ロイヤルティ)収入にかかる税制優遇措置は、2027年より段階的に廃止されます。

C. 富裕層の個人に関連する主な改正点

1. 所得税法13D条・13O条・13U条の税制優遇制度の改正

シンガポールを拠点とするファンドマネージャーが運用するファンド(適格ファンド)に対する主な優遇税制を簡潔にまとめると、以下のようになります。

制度名 免税の種類
13D シンガポールのファンドマネージャーが運用するファンドから生じる、所定の者の所得の免除
13O シンガポールのファンドマネジャーが運用するファンドから生じる、シンガポールに設立され拠点を有する会社の所得の免除
13U シンガポールのファンドマネージャーが運用するファンドから生じる所得の免除


今年の予算案では、所得税法13D条、13O条、13U条に基づく優遇税制が2029年12月31日まで延長されることが発表されました。これら3つの制度における適格ファンドの経済的基準も改訂されます。この改訂は、2025年1月1日から適用されます。詳細は2024年第3四半期までに金融管理局(MAS)から発表される予定です。

また、13O条の制度が強化され、シンガポールで登録されたリミテッド・パートナーシップが対象に含まれるようになります。リミテッド・パートナーシップは、欧米の富裕層の間でポピュラーなファンド・ビークルです。そのため、13O条の制度強化は、リミテッド・パートナーシップによるファンド管理に慣れている欧米の富裕層顧客にとって魅力的であると思われます。

2. 海外人道支援税控除制度

今年の予算案において、海外人道支援税控除制度(OHAS)が2025年1月1日から2028年12月31日までの4年間で試験的に実施されることが発表されました。OHASは、個人・法人を問わず、海外における適格な現金寄付に対して100%の税額控除を認める制度で、内国歳入庁(IRAS)によって運営されます。海外における現金寄付は、指定された慈善団体を通じて行われ、また慈善委員会(Commissioner of Charities)から許可を得た緊急人道支援のための募金に充てられる必要があります。

上記の適格要件から、OHASが緊急人道支援および/または災害救援活動を対象としていることは明らかです。これは、シンガポール国民の慈悲心と、昨今の危機的状況に見舞われた社会的弱者の支援への献身の姿勢を反映した、善意と支援の力強い表明です。OHASの導入は、シンガポール金融管理局が運営する慈善活動税制優遇制度(Philanthropy Tax Incentive Scheme)と並び、シンガポールの国境を越えて価値ある活動を支援しようという気運の高まりを示すものです。

3. 固定資産税の評価額の引き上げ

2022年予算案において、大臣は、投資用不動産および居住用不動産のうち高額なものを対象とした富裕税として、住宅用不動産に対する固定資産税の税率引き上げを発表しました。しかしながら、大臣が今年の予算案で述べたように、2022年における賃料相場の大幅な上昇により、住宅用不動産の評価額も大幅に上昇しました。これにより、固定資産税の引き上げは、当初の予定よりも多くの居住用不動産に影響を及ぼすことになりました。

そのため、固定資産税改正の趣旨を維持しつつ、市場動向に合わせるため、2025年1月1日より、居住用不動産の固定資産税率にかかる評価額を次のとおり引き上げることが発表されました。

限界固定資産税率 評価額
2024年1月1日から2024年12月31日まで 2025年1月1日以降 (2025年の納付分以降)
0% $0 - $8,000 $0 - $12,000
4% >$8,000 - $30,000 >$12,000 - $40,000
6% >$30,000 - $40,000 >$40,000 - $50,000
10% >$40,000 - $55,000 >$50,000 - $75,000
14% >$55,000 - $70,000 >$75,000 - $85,000
20% >$70,000 - $85,000 >$85,000 - $100,000
26% >$85,000 - $100,000 >$100,000 - $140,000
32% >$100,000 >$140,000


居住用不動産の固定資産税率にかかる評価額の調整は、近年の賃料上昇に起因する住宅所有者の税負担の軽減に資するでしょう。加えて、固定資産税の引き上げにかかる意図せざる結果について政府が開示し、市場実勢に見合うように評価額を引き上げるという対応をとったことは、評価されるべきといえます。

D. 結論

2024年予算案で導入された税制改正は、現在の国際的な地政学的環境およびビジネス環境に対応した段階的な変更といえます。BEPS2.0関連で今回発表された税制措置は、シンガポールが国際的な動きと歩調を合わせる用意があることを反映したものです。シンガポールは、変わりゆくグローバルな課税環境に絶えず適応していかなければなりませんが、各国が自国の課税権をますます主張するようになり、課税環境は細分化・断片化しています。外国投資の誘致が、税制上の競争から税制以外の制度の比較優位へとシフトしていることを踏まえると、シンガポールは、外国投資と資産運用のハブとしての地位を維持するため、投資促進政策のツールキットを刷新し、強化する必要があります。さらに、シンガポールにはファミリー・オフィスや投資ビークルを設立している富裕層が多数存することから、税制優遇制度をかかる富裕層の投資や慈善の目的に合わせて調整することが重要です。この点、慈善寄付や人道支援に対する近年の優遇措置の導入は良い流れであるといえます。

上記の各措置が、ご自身に具体的にどのような影響を及ぼすことになるかについてご興味のある方は、お気軽に各弁護士までお問い合わせください。

Dentons Rodykは、本記事の寄稿に携わったアソシエイトのザッカリー・ゴーと研修生のジョイ・チェンに感謝し、謝意を表します。

The content of this article is intended to provide a general guide to the subject matter. Specialist advice should be sought about your specific circumstances.